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そとさん 朔風払葉
イラスト「朔風払葉」

登場人物:相馬(>>208784)・何森(>>209175
>>095573 前に起きた話

裏庭に据えられた古い長椅子の上、枯れ葉が一枚、舞い落ちた。

同席するのは黒い人影。詰め襟の学生服に、古びた黒い外套をまとった少年だった。横顔は、まだ、少しあどけない雰囲気を残している。

眠っているのだろうか。少年は俯き、目を閉じたまま、人形のように動かない。

掃き集められたのだろう。裏庭には、枯れ葉の山が、いくつかこんもりと盛り上がっている。

ふと、長椅子に一番近い山の上で、何かが動いた。少年の履く運動靴と同じくらいだろうか。少年と同じ黒い何か。くちばしが見えた。続いて羽根が。よく見れば、それは小さな鳥――どうやら子供の鴉のようだった。鴉は、と、と、とと、枯れ葉の山の上を軽やかに飛び跳ねている。枯れ葉の感触を楽しんででもいるのかもしれない。

日は少し傾いたばかり。時折、穏やかに吹き抜ける涼しい風が、枝の先で僅かに残る葉を揺らす。

終業後、校内に残る生徒たちがいるのだろう。談笑の最中、ひときわ大きな声で笑ったであろう声が、微かに遠くから聞こえてくる他は、人影もなくひっそりとしていた。

かさ。かさ。かさ。

そんな時間がしばし続いた後――からからと風に転がる枯れ葉の音に混じり、一定の間隔で葉を踏みしめる音が聞こえる。それはだんだんと長椅子に近づき、大きくなる。

音に気づいたのだろうか、それまでじっと動かなかった少年は、瞳をそっと開き、顔を上げた。

近づく音の主は、少年と同じか、少し年上に見える少女だった。黒いセーラー服と、襟巻きに身を包んでいる。少年と同じく、俯き歩いていたからかもしれない。少女は長椅子から3、4メートルの位置で、ようやく先客がいることに気づき、足を止めた。

先客――少年の顔を見て少女の目が僅かに細められた。知った顔ではあったが、会いたくはない人物だった。

少年は以前、少女の起こした企みを失敗に導いた元凶だった。前日からの仕事≠ナ疲れていたとは言え、少女はこの距離まで気づかなかった己の愚かさに腹立たしさを覚えた。

「何森、先輩。こん、にちは」

せめて気づかなかったふりをしてくれたら、少女も気づかぬふりをして通り過ぎることができた。敵意をあらわに反応してくれたら、こちらも相応の対応をすることができた。

しかし少年は、少女に向かい、何事もないような落ち着いた声で挨拶を告げ、そっと会釈をした。その意図も、次にどう動くのかも分からなかった。

少年は黒い外套にゆったりと包まれていて、何を持っているかも分からない。無視をして通り過ぎる、あるいはきびすを返して背中を見せることもできず、少女は一つため息をついた後、態勢を整えた。普段同級生に向けるいつも通りの≠ノこやかな笑みの仮面を被り、少年に返事を返した。

「うん。こんにちは。なにしてるの、こんなとこで」

そう問いかければ、少年の瞳がまっすぐと少女へ向けられる。

なんだか水のようだ、と少女は思った。あのとき≠ヘどうだったのだろう。目など見る余裕は無かったが、どこかぼんやりとして、あの動きをした人物と同じとは、素直に思えなかった。

深く深く透き通る濾過され続けた泉の水。けれど、その奥にあるはずの少年の心――感情が見えない。奥へ、もっと奥へと、手がかりを探すが、何時までも見つからない。底のない泉。

洞の中に小さな泉がある。年老いた占い師が手招く誘いに乗り、その水鏡を覗き込めば、己の本性が暴かれていく。そんな不可解な感覚に陥り、少女は少年の瞳からそっと視線を外した。

「あれ? ひとり?」

弱み――僅かに生じた動揺のため、視線を外したことを悟られぬよう、少女はきょろきょろと周囲を見回す振りをした。

ひとり? これは無意識に出た言葉だったが、思いの外期待がこもってしまったことに少女は呆れる。

背中に隠し、伸びた爪先にそっと薬≠塗った。仕事≠ノ使ったものが僅かに残っていた。

だが、まだだ。たとえ少年が一人だったとしても、今「やる」わけにはいかない。会いたくはなかった。けれど会ってしまったからには、少女には少年に聞かなければいけないことがいくつもあった。

少女の思いを知ってか知らずか、ひとり? と問いかけられた少年は答えを口にせず、ただ小さく首を横に振った。否。他に気配は感じなかった。誰かが隠れているのだろうか。それとも、意識を他に向けさせるつもりだろうか。

少女が意識を研ぎ澄まそうとした刹那、少年が頭を僅かに巡らせた。視線を辿ると、長椅子の反対側、枯れ葉の一つの山で動くものがある。葉の山に半分身を隠すようにして、一羽の小さな黒い鳥が少女を見ていた。

鴉? と少女は思った。少女にとって黒い鳥と言えば、鴉ぐらいしかすぐ思い当たるものがなかった。しかし、少女が見知っていたものよりも、ずっと小さい。

一息を付く。確かに一人ではない。けれど鳥だ。それも小さな。しゃれた返しをするものだ、と少女は薄笑いを浮かべようとして思いとどまる。

そんなはずはない、それなのに、なぜだか小さな鳥に監視されているような気がして、落ち着かない気持ちになった。

「一人じゃないって言えば一人じゃないか。それにしても――なんかぼんやりしてるね。お昼寝でもしてた?」
「少し、考え事を、して、いました」
「あー、邪魔しちゃったんだ、ごめんねー」

少女は心のこもらない謝罪を呟き、思う。何を考えていたのだろう。待ち伏せのための嘘でないのなら。将来、成績、人間関係、まさか恋愛とか?

少女と少年は学年も違い部隊も違っていた。少女はあのとき∴ネ前に少年を認識したことがなかった。注目されるような班長職や隊長職、戦闘力に長けた華やかな切り込み人員、遊撃部隊や、司令部の要職であれば、自然と目に付くはずだった。

故に少女は、少年について誰もが手に入れられる名簿のような「文字化された堅い情報」と、「ある人づてからの、私情に満ちた柔らかすぎる情報」以外、詳しいことを知らなかった。いや、知りたくなかったというのが正解かも知れない。あのとき∴ネ降、少女は疑心暗鬼に苛まれていた。なぜ事件を起こしたのに、その犯人を知られたのに、捕まらないのか。もしかしたら。あり得ない妄想に、僅かな未来への希望の糸を繋いでいた。少年のことを知れば、その糸が断ち切られてしまうような気がして、情報ですら近づくことができずにいた。

しかしいざ目の前にしてみると、おかしなものだ、と思う。少女は元々好奇心が強く、少年がどんな考え事をしていたのだろうと、興味が沸いた。しかし、一陣の風が頬を撫で、冷静さを取り戻した少女は、その感情を押さえ込んだ。

「でもさー、こんないい天気の日に外で考え事とか、そこそこにしなよ。あんまり悩むとハゲるから」

面倒なことになったな、と少女は思った。爪先に塗布した他にも、僅かに薬≠ヘ残っているが、他の手持ちの武器は心許ない。それに前日からの仕事≠ヘ徹夜で、疲労していた。調子が良くない。いざというとき、確実に仕留められるか、逃亡できるかが分からなかった。

それは少女にとって、会話を止めない為だけのたわいもない言葉だったが、少年は少し首をかしげて視線を地面へ落とした。

「ん? どうかした?」
「以前にも、似たような、ことを、言われた、ことが、あります」
「ハゲ不可避……!」
「最近は、様々な帽子が、あります、から、毛が無く、とも、暑いとき、寒いとき、助かり、ますね」
「……ぶ」

予想していなかった、少年のとぼけたような回答に少女は吹き出してしまった。普通なら、ハゲないとか、うるさいとか、祖父はハゲげてないからハゲないとか、そんなことを言うのではないだろうかと思っていた。

「先輩は……お散歩、ですか」
「……まあ、そんなとこかな」

少年の問いもたわいもないものだけだ。なぜあのとき≠フことを問いかけないのだろう。疑問はたくさんあるはずだ。お互い。少女はそう思いながら、少年の問いに言葉を濁す。

疲れていた。なにもかも。少女はなぜここに来たのかを思い出して息苦しくなった。一人になりたかった。何も考えずにいたかった。

大きく息を吸い、少女は乾きかけた冷たい空気を肺に満たした。沈みかけてはいるが、広い空を一緒に吸い込めた気がしてすがすがしくなった。そして、呼気と共に心の中のいらないものを吐き出した。

「風が涼しい。もうすぐ冬だね」

少年は言葉で返答を返さず、ただこくりと頷いた。少女はほっとした。もう少し呼吸だけをしていたかった。なんとはなしに空を見上げる。上空は風が強いのだろう。吹き流された雲がねじれて細くなり、白波のようになっていた。

「空が高いや」

いっそ全部吹き飛ばしてくれたらいいのにな。何もかも。ぼんやりと空を見つめる少女を静かに少年は見ていた。

しばらくの後、少女が空から地上へ視線を戻すと、少年と再び目が合った。どきりとする。まさかずっと見ていたのだろうか。気を抜きすぎたかもしれない。

しかし少年の表情からは、最初に見たときと同じく、特に何かを思うような感情は見えなかった。ただ、驚いた様子も、気まずく思う様子もなかった。少女がこちらに気づいたという事実を知り、少女が次に何をするのかとでも思ったか、僅かに少年は首をかしげただけだった。

少女は違和感を感じた。なぜ。あのとき¥ュ女に殺されかけたというのに、少年はなぜ、こんなにも落ち着いた、穏やかとも言える表情ができるのだろう。

よく似た別人か、名前の違う双子の片割れなのではないだろうかと愚かな考えが頭をよぎる。まるであのことは夢だったかのように。何事もなかったかのように。

そうであったらどんなに良かっただろう。演技だとしたらたいしたものだと少女は思った。しかし夢ではない。もう疲れた。もういい。こちらから問いかけてやるとしよう。

「ねえ、相馬くん」

名を呼ばれた少年は、かしげた首をまっすぐに起こすと、やはり何も言わず、ぱち、ぱち、とふたつ瞬きをした。

「どうして私のこと……上に報告しなかったの」

状態からの安易な結論。少女は本当にそうだとは思っていなかった。実際を愚かな人間を演じて探るための嘘。

「弱みを握ってなんかするのかなって思ったけど、なんにもしない。のこのこ来たら殺しちゃおうって思って準備してたのに全部無駄になっちゃった」

まず一撃。少年の深い泉の奥に揺らぎを探し、じっと見つめる。

しかし、相変わらず、少年の表情は変わらない。少女の問いに、また、ぱち、ぱちと、今度は少しゆっくり瞬きをしたあと、変わらない声で返事を返した。

「問題は、ありません、でした」

乗ってきた。しかしなかなか手強い。そんなわけがないのに。少女は、浮かびかけたあざ笑いを打ち消して、脳を回転させる。どこまで騙し通すつもりだろうか。

「相馬くんが、他の装置も武器も全部駄目にしちゃったからね」

あの日、少女が少年に一撃を食らい、気絶した後、目覚めたのは医務室だった。慌てて状況を確認したが、他にも数名の怪我人がおり、少女はその中の一人として扱われていた。救護の先生に他の事件≠ェあったこと、一年生の男子生徒がここへ連れてきてくれたこと、自分には休養が必要だということを告げられた。

用意していた装置は全て、破壊されるか、消え失せていた。

「あーあ、あんなに早く相馬くんが来なかったらなー」
「……先輩、は」
「何?」
「もし、本気で実行、するつもりで、あったなら、計画を、完遂、できたのでは、ない、でしょうか」
「まさかー」
「とても繊細に、準備は、されて、いました。皆さんが、実行前に、気づけなかった、のも、仕方がないように、思え、ました」
「本当に気づかれてなかったのかなー? 今となれば、泳がされてただけで、相馬くんが途中で止めたから、決定的な証拠を掴む機会を、潰しちゃったのかもしれないよー」
「……」
「そうだったら相馬くん、私にも上層部にも二重に迷惑だね。もしかしたら相馬くんが、実は私の仲間とか、目を付けられる羽目になっちゃってたりして」
「もし、上層に、事件、以前、から、疑われていたの、なら……以前から、ずっと、先輩には、監視者が、ついていらっしゃったのでは、ない、でしょうか。報告せず、とも、あの日のことはすべて、上層に、伝わっているはず、です」
「ならなんで捕まえに来ないのよ。私も……相馬くんもさ」
「そう、ですね」
「そうですね、じゃないよ。馬鹿じゃないの。相馬くん一年生でしょ? 相馬くんみたいなぼんやりした子、今のうちに評価上げて少しでも上の方行くとかしないと、あっという間に捨て駒にされて死んじゃうんだから」
「ありがとう、ござい、ます」
「何? 何で急にお礼? 訳わかんないんだけど」
「ご心配、下さった、ご様子、でした」
「んなわけないでしょ。ただの会話の流れよ、流れ」
「流れ」
「そうそう」
「なぜ先輩は、あの事件を起こそう、と、思われたの、ですか」
「……暇つぶし、かな?」
「暇、つぶし」
「なーんてね。相馬くんも、私の質問にちゃんと答えなかったし、おあいこで秘密。まあ、教えてくれても教えないけど」
「……」
「相馬くんこそ本当に、どうして報告しなかったのよ? 相馬くんって別に司令部付属じゃないんでしょ? さっきはああ言ったけど、監視者が別にいて気づかれてるかどうかなんて分からないじゃない。自分だって捕まるかもしれない。評価は下がる。相馬くんにいいことなんて一つもないじゃない」
「……う」
「……ん?」
「……なぜ、でしょう」
「なぜでしょうって、知らないよ。私が聞いてるんだけど」
「先ほどの、通り、報告せず、とも、問題は、ありません、でした」
「運が良かったねー。もしあの後私が自暴自棄になってたら、遠慮なく他の人も殺してたかもしれないよ。下手したら相馬くんも、相馬くんの周りの友達も」
「とも、だち」
「そう、友達」
「もし、そうする、ならば、先輩はあの後すぐ、行動を起こしたのではない、でしょうか」
「どういうことよ」
「現場は混乱、して、いました。逃亡するにせよ、攻勢に出るにせよ、それが一番の、好機、です。急いで判断を、行動を、しなければ、捕まって、しまうかも、しれません。理性を失って、いたのなら、尚更攻勢に、時間をおかない、でしょう。その場合、被害は、報告より以前に、なり、ます。間に合いません、でした」
「あー、なんでそうなれなかったのかなー。そっちの方がずっと楽しそうなのになー」

あの日の己の行動を思いだし、少女が今更むかむかとしていると、少年がはたと気づいたように、突然の言葉を告げた。

「報告書は、書き、ました」
「え?」

報告をしたのか、しなかったのか、それはまだ本当か嘘かは分からない。けれど表向きでも安堵をしていた部分をひっくり返され、少女は素直に反応してしまった。妄想だと思っていた希望に、そんな訳がないと理性で思いながらも、すがっていた己に気づく。もしそれが本当で、見つかったらどうなるだろう。

「それ、どうしたの? 部屋に置いてあるとか?」
「焼却炉、に」
「そっかー、焼却炉、焼却炉ね」
「……」
「……って待った! 今なんて言ったの? 焼却炉?」

少年はこくり、とまた小さく頷いた。通常であれば繋がらないであろう事象と事象とが少女の思考を淀ませる。やっぱり訳がわからない。

少年は少女の答えを待っているのか、頷いたあと、何の反応もしなかった。しばしの静寂の時間。少女の脳は、合わない事象と事象の接続面をようやく見つけ、頭痛と共に少女に答えを差し出した。

「……あ……ああ、焼却炉に隠したってこと? びっくりさせないでよ……でしょ?」
「燃してしまい、ました」
「もう! 何なのよ!」
「丁度、火が入り、ました、ので、用務の方にお願いを、しました」
「そうじゃなくて! なんで燃やしたのかってことよ!」

少女が少し声を荒げると、少年は視線を落とし、何かを考えるようにしている。やがて視線を少女に向けると、また首を傾げ、誰に語りかけるでもなく、静かに呟いた。

「なぜ、でしょう……」
「なぜでしょうじゃないよ! ねえ、もしかしてだけどさ、私が誰かに弱みを握られてるとか、嫌々やってると思ってたりしてない? それが恥ずかしくて理由を言えないとか?」

ふん、と、今度は感情のまま、少女はあざける表情を我慢せず浮かべ、少年に迫った。反面、少年は相変わらず変化のない声で、静かに答える。

「先輩、は……」
「……何」
「人に、手を、かける、ことには、あまり、躊躇が、ない、ように、思え、ます」
「……」
「……」
「……今、しれっと失礼なこと言ったね」
「ご気分を、害し、ましたら、申し訳、ありま、せん」
「……まあ、外れてないけど。っていうか、躊躇してたら死ぬし。そういう子今時珍しくなんてないでしょ」
「はい。けれど……」
「何よ」
「あの日の弾は、当てる、おつもりが、ありません、でした」
「……ばっかじゃないの。完璧に狙ってたよ」

その言葉を聞き、少年は首をかしげて、少女の掌の辺りを見つめた。

あの事件の日、少女は旧校舎の、今は使われていない教室に潜んでいた。しかし少年に発見され、二人は対峙することになった。少女の狙いは確かだった。見つかってはならなかった。自分を守るために、少年を絶命させたとしてもかまわなかった。

少女は暗殺部隊に所属している。人を殺すこと、血を見ること、死体を見ること、その隠匿にも慣れきっていた。けれど当たらなかった。少年の動きが思いの外素早かったこともあったが、最後に少し手元が狂った。

それが偶然だったのか、心の奥に潜む自らの意志だったのか、今でも少女は分からない。ただ一つ分かっていたのは『その行為≠していること自体』が少女にとって迷いの象徴だったということだった。

「あはは。やっぱりね。相馬くんも甘い子なんだ。弾を当てなかったから? 迷ってたんじゃないかって? まだ戻ってこられるよとかああいうやつ? 馬鹿もほどほどにしたら? 普通撃たれただけでヤバイって思うでしょ」
「……」
「きっとさ、相馬くんの周りっていい人ばっかりなんじゃない? そうじゃないならさ、特に親しくもないし、あんなことした私のこといい人に見ようとしてさ。あ……実は私のこと好きになっちゃったんだったりして。自分で言うのも何だけど私結構可愛いしー」

これまでの会話が真実だとしたら。少年が少女に対する甘すぎるとも言える対応の答えが見えたような気がして、少女は今までのもやもやを払拭するかのごとく、また、少しの反撃をするためにとげとげと勢いのままに言葉を紡ぎ出したが、

「……」
「……」
「……」

少年は何故か、少女の言葉を聞いたあと、図星をつかれたような反応を見せることもなく、ただ視線を少し落として何かを真剣に考えるようにしている。少女はたまらなくなった。

「ちょ、ちょっとちょっと考え込まないでよ! 冗談だし! 相馬くん顔色全然変えないから、少し動揺してくれないかなって思っただけなんだから! そうじゃないないなら、すぐ否定してよ! 私自意識過剰みたいで恥ずかしすぎじゃない!」
「先輩に、対する、情報が、おおよそ、空想で成り立って、います。結論に、至る、ことが、できません、でした」
「ハゲる……絶対的に相馬くんはハゲる……」

少年の生真面目すぎるとも言える答えに少女は気が抜けてしまう。同時にこの状況でそんな答えを出す少年が少し空恐ろしくも感じた。

ふざけた様子で羞恥を紛らそうとする少女を、少年は相変わらず変化のない瞳で見ていたが、ふっと正面にある花のない花壇へ視線を移すとしばらく見つめ、静かに呟いた。

「先輩は、捕まってもいいと、思われていたの、ですか」
「そんなわけないでしょ。なんでそうなるのよ」
「軍事組織に、所属して、います。そこに害を与える、ような、行為をし、犯人が己だ、と、組織の一人に、知られた。通常、身の安全を図る、ため、その組織、から、離脱しようとするのでは、ない、でしょうか」
「それは、相馬くんが報告しなかったからでしょ」
「なぜ『報告しなかった』と、思われたの、ですか」
「状況が変わらなかったから」
「先輩のことを、よく、知りません。先輩も、俺のことをあまり、知らないのではと、思い、ます。先輩が、疑問に、思われた、ように、まずは『報告した』と考える、のが普通、です。状況の不変は、やはり先輩が、先ほど、仰った、ように『報告され、泳がされている』と考えることもできます。その場合、いつ捕まってしまうか、分かり、ません」
「……」
「先輩は、その恐れを、認識して、いたはず、です。それでも、なお、残ることを、選択、した。捕まりたい、わけでは、ない。ならば、何か……ここにいたい、理由、ここにいなければ、ならない理由、が、ある。それ、は――」

少年は、ふと、そこまで告げて、口をつぐんだ。それまでは、己の考えをぽつり、ぽつりと、呟きながら、見知らぬ道を辿っていくかのようだったのが、答えにたどり着き、ふと歩みを止めたかのように。

「何よ?」
「……」
「気になるでしょ。言いなさいよ」

口をつぐんだままの少年をにらみつける。
少年はゆっくりと目を閉じ、開き、どこか遠くを見つめ、静かに答えを呟いた。

「……他に居場所が、なかった」

風が足下を吹き抜ける。少女は少年を見つめ、しばらく動かずにいたが、不意に不可思議な笑いがこみ上げる。そんなわけ、ないじゃない。何を言っているのか、と。

「……は」
「……」
「あはっ。あはは、何それ。そんなわけ、ないでしょ。私これでも結構優秀な方だし、引く手あまたなんだから」
「……」
「実はね、仲間がいて、分かったの。自分が捕まらないことと、相馬くんが報告してないってこと」
「仲間……」
「あ、私の回りを探してもいないよ。滅多に接触しない子だから」
「……」
「大切なご友人が、いらっしゃるの、ですね」
「は?」
「仲間がいる、と仰った後に、すぐ、『私の回りを探してもいない』と仰い、ました」
「えー? そうだっけ?」
「もし、この話を、第三者に、聞かれていた、場合に――ご友人に害が、及ばない、ように」
「相馬くん、考えすぎー」
「早とちり、でしたら、すみま、せん。ただ……先輩は、捕まりたくない。どんな理由に、せよ、危険を冒しても、ここに残る、理由が、ある」
「……」
「けれど、先輩は、訪ねては来ません、でした」
「……この話は嘘だ、ってこと?」

少年はまた小さくこくりと頷いた。

「報告をしていない、こと、捕まらない、ことが、分かっていたら、一番の障害、は」
「相馬くんだね」
「はい」

素直に返事をする少年を見て、少女はため息をつく。

「やっぱり相馬くん、馬鹿でしょ」
「……」
「自分を確認のためのおとりにしたってわけ? 口封じに殺されるかも知れないんだよ」
「……」
「私が相馬くんのところに来ない。だから私は報告したかどうかわからない」
「……」
「なんで、そこまで……」

唖然として問えば、少年はまた、なぜでしょう、と言ったときのように、どこかぼんやりした様子で首を傾げた。

「もし――訪ねてきたらどうするつもりだったのよ。私が訪ねなくても、仲間がいたら、私じゃない誰かが相馬くんを殺したかも知れない。一人でどうにかなんてならない」
「……」
「……あ、そうか」
「……」
「相馬くんだったのか」
「……」
「『監視者』」

少女は全てがようやく不意に落ちたような気がした。少年の行動も、会話も、違和感がこれですべて解消される。

「だってさ、自分を殺そうとした人を前に落ち着きすぎでしょ。なんで報告しなかったのって聞いても、報告しなくていい理由ばっかり。そこに相馬くんの心はない。本当は報告してて、泳がせてるだけなんでしょ。あー危ない。なんで相馬くんだけ倉庫の外にいたのかと思ったけど、監視者なら、外にいたのも当たり前。私を監視してるんだもんね。捕まえないのは、泳がせて背後関係を調べたいとかなんとかなんでしょ?」

緩みかけた空気が再び尖り出す。冷えた視線を向けて告げた少女の言葉だったが、思惑とは裏腹に、少年は全く雰囲気も表情も変えなかった。相変わらずどこかぼんやりとしたまま、二度、ぱちぱちとまぶたを瞬かせたあと、小さく横に首を振った。

「嘘。じゃあなんで倉庫の外にいたのよ? あの日は朝から全員校外実習で、校内に残ってたのはすぺあキー物品検査と会議のある司令部の人たちと、ごく少数の護衛の人たち、あとは当直の先生だけだったでしょ。で、先生以外は地下倉庫に行ったはず」
「……」
「倉庫から抜け出すには鍵がいる。司令部の人たちが入った後、鍵に細工をした。予備の鍵は私が持ってた。発見時、鍵は倉庫の中にあった。ということはさ、相馬くんは元々倉庫の中にいなかった、っていうことになるよね」
「はい」
「知る限り、あの日校外実習から戻ってくるような指令はなかったはず。輸送車もなかった」
「……」
「……まさかと思うけどサボリとか?」

少年は口を開かない。どうしたら、化けの皮を剥がせるだろうか。少年の傷≠じりじりと探っていく。

「なーんてね。相馬くんマジメっぽいからそんなことしないか。もしそうなら親近感湧くなーとか思ったんだけど。ほら、これなら自分にも弱みがあるからさ。報告しないんじゃなくてできなかったよねーみたいな?」
「……」
「相馬くんの言ってたことって、よくよく考えたら『なぜ相馬くんが報告しなかったのか』じゃなくって、『報告しなくていい理由』だけだった」

少女にとって、少年は監視者でなければいけなかった。もし本当に監視者でないのなら――

少女が想像を広げていると、それまで静かに話を聞いていた少年がそっと口を開いた。答えられるなら、答えたらいい。

「あの日は……」
「うん」
「朝から不穏、でした」
「嫌な予感がしたとかいうやつ?」

不穏て、と少女は思った。どこかの占い師かっつーの、とツッコミを入れたい心地をぎりぎりで抑える。ここでまた妙な返しをされたらたまらない。どんな理由で外にいたのか、それが一番の疑問だった。そしてまた、少年が監視者である決定的な理由を見つけることができるかも知れない。少女の問いに、少年は小さく横に首を振る。

「晴れている、のに、薄曇りのよう、で」
「それで行くのを避けたわけ?」

馬鹿らしいと思いながら、少女が問えば、少年はまたそっと横に首を振った。

「摂氏、約、三十八度……」
「せっ……? 何?」
「熱を測り、ました」
「熱? 何で?」
「同級生が、告げ、ました。摂氏、約、三十八度。風邪を、引いている、と。その為、行事を休み、医務室で横に、なって、いました」
「……は?」
「……」
「……風邪?」

少年はこくりと頷いた。

「で、騒ぎを聞きつけて、私を見つけた、って訳?」

またこくりと頷く。

「ねえ」
「はい」
「もしそれが本当ならさ、そんな相馬くんに負けた私って、情けなさ過ぎない?」
「大切な、行事のある、日に、風邪を引いてしまい、ました」
「そんな同情いらないよ! って、本当に風邪? 相馬くんの言うことどこまで本当だかわかんない」
「医務室の、使用記録を見て、頂けたらと、思い、ます」
「そんなのいくらでもねつ造できるし」
「そう、ですね」
「いや、そこは否定しとこうよ、納得してないでさ。あーもう!  相馬くんと喋ってると変な気分になる!」
「……あの後」
「ん?」
「所属の分からない、暗殺、部隊が、校内で、数名、捕縛、されたそう、です」
「……騒ぎに、なってたね」
「目標は、司令部の、要人、だったそう、です」
「まだ正式な軍人ってわけでもないのに狙われるとかさ、ゆーのーとか偉くなると目立って大変だねー。私は命令される立場の方が気楽でいいよ」
「隊が侵入、したとき、司令部の、皆さんは、地下倉庫に、いらっしゃい、ました」
「……」
「……先輩の、作戦で」
「運が良かったねー。いや、悪かったのかな? 外に出れば暗殺部隊、中にいれば毒瓦斯とか。まあ私にはどっちでもいいけどね」
「地下倉庫は、とても頑丈、です。外から開く、には、あの鍵が、絶対に、必要、でした」
「……」
「……」
「……何が、言いたいの?」
「あれは、本当に、偶然、だったの、でしょうか」
「……偶然でしょ」
「皆さんの被害と、言えば、薄いガスを、吸って、少し、気分が悪くなった、くらい」
「……」
「もし外にいたら……司令部の、皆さん、まで、たどり着かず、とも、守ろうとした、皆さんの、中に、死傷者が、出ていた、可能性が、あります」
「……」
「……」
「相馬くんは、こう、言いたいわけ?」
「……」
「『私がみんなを助けた』」
「……」
「そんなわけないでしょー。だって相馬くんが来なかったら、ちゃんとみんな死んでたんだから。それに、私があの人たちを助けたいなら、こんなまどろっこしい方法取らなくても、司令部に暗殺部隊が来るよって知らせればいいんだし」
「諜報で、さえ、知り得ない、情報、を、一介の兵が持つ、ことは、疑われる種になり、ます」
「……」
「相手方の情報源に、こちらの司令部へ、情報を漏らした、ことが、疑われ、ても、先輩は、危険、です」
「……」
「……先輩は、ひとつ、換気扇の、電源を、切らずにおいて、ください、ました」
「そう、だっけ? きっと、配線の場所間違ったんだ。間抜け」
「そして、装置の、いくつ、かも、完成して、いません、でした」
「私だし、めんどくさくなっちゃったんでしょ」
「ただ……できあがったものは、とても丁寧に、作られて、いて」
「……」
「本当は、あの日に、実行する、つもり、では、なかったの、では」
「……」
「もしくは……」
「……」
「実行するつもりが、なかったのでは、と、思い、至り、ました」

少年の言葉は、一つ一つ、まるで己で発した言葉を確かめているかのように、短い。けれど確かに、確実に。少女の心に降り積もっていく。周囲に広がる、木の葉のように。

違う。そんなわけない。

幼いころから、積み重ねていった怒り、恐怖、嫉妬、恨みのカードの塔。辛いこともあった。しかし、その辛ささえもカードとして一枚一枚積み重ねていった。少女は強くなった。そのはずだった。

少女は振り返る。同じ歳、近い歳。なぜ無邪気に笑いかけるの。馬鹿な人たち。己の危険を顧みず、救いの手を差し出すの。馬鹿な人たち。

時を重ねてようやく積み上げたカードの塔を、その完成間近で自ら崩してしまったのはなぜか。しかも対象へ向けなければいけない方向とは真逆の方向に。いや、その前からぱらぱらと崩れていくカードに気づいてはいなかったか。修理と名を付けて、何度も積み重ね直してはいなかったか。

あの日、未完成とはいえ、装置を最後まで作動させることができていれば、閉じ込めた者たちの命を奪うとまでは行かずとも、甚大な被害を与えられた。そして重要な情報を持って去る。行動を起こしたからには、そうしなければならなかった。

けれど、少女はどこかで――待っていた。待ってしまっていた。誰かが来るのを。来てくれるのを。

もしも誰も来なくても――そんな考えが一瞬でもよぎり、ぱらりとまた一枚、カードの塔が崩れていく音が聞こえるような気がした。なぜ。なぜああしたのかも分からない。分かりたくない。分かってしまったらいけないのだ。気づいてしまったら私は。

「……はは」
「……」
「あはは、なにそれ。相馬くんさー、どんだけ私をいい人にしたいわけ? やっぱり私のこと好きでしょ?」

少女は笑う。けれど言葉が僅かに震えた。喉が痛む。言葉通りの表情をしたいのに、言葉通りの心になりたいのに――少女は体の重さと、口の渇きを強く感じた。

「あれは、あれで完成、だったの。未完成っぽくしてれば、万が一監視されてたとしてもまだ完成してないなら実行まで時間があるって油断する、でしょ」
「だから、実行が、できた」
「そう。そうそう。暗殺部隊が来たのだってたまたまよ。たまたま被っただけ」
「運が、よかった」
「そう。私はなんにも知らな、かった。そもそもさー、襲ってきた暗殺部隊が私の仲間だったら、あいつらが捕まって――まあ、一ノ瀬くんでも、上層でもいいけど、きっつい尋問でもされれば、あっという間にバレちゃうでしょ? 見たことある? 一ノ瀬くんの尋問。容赦ないんだから。怖いんだから」
「そう、ですね」
「でも私は捕まってない」
「……」
「だから、はずれ」
「……」
「相馬くんの想像は全部はずれなの」
「……」
「そういうことにしておいてよ」

少女は笑う。小さな山を蹴り飛ばして崩し、次の枯れ葉の山へ移動して遊ぶ、やんちゃな黒い鳥に目を向けるふりをして、少年に背を向けた。息を吸い、吐く。そして崩れかけた笑みを、筋肉を総動員して取り戻す。大丈夫。これで大丈夫。息を吸い、目を閉じ、そのまま心に残った答えのない重いものを、また空気と共に吐き出した。

思い出せ、思い出せ。あの日を。あの子を。今までを。いつだってこれでなんとかなったんだ。

「ありがとう、ございました」

振り返ろうとした少女の背中に告げられたのは、何故か感謝の言葉だった。

「……な、んで……急に……」

動揺から完全に回復していなかった少女にとって、その何度目かの認識のずれは、脳の回転を更に遅くした。ぎしぎしと音が鳴りそうな首をなんとか回し、少年に体を向ければ、

「……長い話を、お聞き、下さいました」

と、ただ少年は問われたことへの答えを返した。

「……追求、しないの?」

そう少女が問えば、

「そう言うことに、しておいてと、仰って、いました」

と、小さく首を傾げて答える。

「……」

少女は冷えた体に血が上り、急激に熱を帯びるのを感じた。

なんなんだ。勝手に人を追い詰めておいて。なんなんだ。

聞かれずに済むのなら、それでいい。そのはずなのに。少女は自分の感情が分からない。

「なんで? それでいいわけ? いいわけないでしょ? 馬鹿にしてるの?」

そう問えば、少年は少しだけ何かを考えているような間を置いた後、そっと答えを発した。

「伺っても……かまい、ませんか」
「いや、駄目だけど」
「お疲れの、ご様子、です」
「ほぼ相馬くんのせいだけど!」
「すみま、せん」

静かに頭を下げる。なんなんだ。これはどういう状態なんだ。少女は少年をにらみつけたまま、次の言葉を見つけることができずにいた。
少年がふと、何かに気づいたように頭を上げる。

「何森、先輩」
「……何よ」

少女は反射的に、少しだけ後ろに上体を退けた。今度は何を言うつもりだろうかと身構えて。

「もし、ご迷惑でない、の、なら……」
「……」
「後日、お話を、伺え、たら、幸い、です」
「……」
「……」
「しないよ! ご迷惑だから!」

後日? また私に会うとでも言うのだろうか。馬鹿じゃないの、なんなんだ、もう、気が抜ける。

けれど少女は、心のどこかで、何か泣きたいような、全部投げ出してすがりつきたいような心地になっていた。

「で?」

軽く首をすくめて少女がそう言うと、少年はまた小さく首をかしげた。

「結局、私は捕まるわけ?」
「わかり、ません」
「……ってここまで来て何で分からんのかい!」
「気づかれているか、どうかも、推測に、過ぎま、せん」
「じゃあ何で……こんな細々聞いたのよ」
「知りたいと、思い、ました」
「何を?」
「何森、先輩の、ことを」

ただ、素直に。問われたことに、少年は答える。答え続ける。少女は振り返る。話を始めたときからずっとだった。

少女はじっと少年を見つめた後、何度も繰り返した問いを、なんなのだろう≠ニ、それまでより、ほんの僅かにだけ穏やかに、心の中で繰り返した。

そして、少女の脳は、言葉にならずに渦を巻いていた、もやもやする場所から、一つの形ある疑問を取り出すことに成功した。

「ねえ、相馬くん」
「はい」
「……素朴な疑問なんだけど」

疑問、というよりもそれは嫌な予感だった。少女は教師に発言を求めるように、少年に掌を向けて小さく上げる。少年はこくりと頷き言葉を待っていた。

「相馬くんってさ、まさか――本当に監視者じゃないの? 関係ないの? その……司令部や、上層部と」

そう問うと少年はまた少し首をかしげてからこくりと頷いた。少女は少年に指を突きつけ、以前見た光景から得た決定的な疑惑≠検めるため、少しだけ語気を強めにした。

「だってこの前、鳥駒さんと司令部から出てきてた!」
「この、前……」
「海の日の前日の!」

そう追撃すれば、またぱちぱちと目を瞬かせた後、

「あの、日は」
「何よ」
「先生に、頼まれた、資料を、お届け、したところ……お誘いを受けて、将棋の相手を、させて、頂きました」
「……しょうぎ? 将棋? ……あのパチパチ打つ?」

こくり。

「……本当に個人的な疑問なの」

こくり。少年はその問いにも、小さく頷いた。

「……」

何故だろう。何故知りたがるのだろう。「私」のことなんて。訳が分からない。何なんだ。やっぱり可愛いから? それともやっぱり上層部と繋がっていて情報を得たいだけ?

そう考えて少し胸が痛んだ気がして、少女はぎょっとする。なぜだかは分からない。そんな感情を頭を振って振り払う。

「……相馬くんって、変」
「先輩は、優しい方だと、分かり、ました」
「何で? 何でそうなるの?!」
「先ほどより、情報が、集まり、ました」
「……誰か助けて」

少年の思考の流れが掴めず、いるはずのない存在に助けを求めてみる。落ち着きを取り戻しつつあるのに、すぐ少年の調子に巻き込まれてしまう。自分だけがじたばたと舞台の上で飛び跳ねているようだ。いつもなら、自分が舞台の外で眺めているはずだ。少なくとも、そうすることが自分の得意分野だった。

かさ、かさ。

先ほどとはまた別の山の上で、小さな鳥が見え隠れする。なぜあの鴉は相馬くんのそばにいるのだろう。相馬くんが飼っているのだろうか。

少女はそちらに目をやってから、ちらりと横目で少年を見た。少年がどの部隊に所属しているのかは知らない。しかし一度だけ、犬舎や鳩舎がある施設で、似た後ろ姿を見かけたことがあった。

どこかぼんやりとして、殆ど表情を変えない少年。それでも人は人だ。人は何を理由に怒るかで性格が分かると、どこかで聞いたことがあった。短い煽り言葉でどうとなるわけでもないが、これで僅かにでも表情が変われば、少年のことが少し見えるのではと思った。

自分の悪い癖だ、少女は思う。

『知りたいと、思い、ました』

同時に、少年に似た部分を見つけたような気がして、奇妙な心地になった。こうすることで少年に疎まれようが、嫌われようが、少女はかまわなかった。進んで嫌われたいという被虐趣味はない。ただ、やられっぱなしは性に合わなかった。

そしてもし、そこに何か――あの水のような瞳の向こうに揺らぎを見つけることができれば、いくらでも心を掴む方法はある。体を使ったっていい。そんな少女の傍らで少年は、今度は枯れ枝を啄みはじめた黒い鳥へと目を向けていた。

「相馬くんてさ」

話しかければ、少年はそっと少女へ顔を向けて頷いた。

「あのカラスくんと仲よさそうだけど……危ないよね? 戦場にまで着いて来ちゃったりして、ぐちゃぐちゃに殺されちゃったりしたら、どうすんの?」

そう問いをかけ、少女は横目で少年を眺めた。どんな反応を返すのかをじっと観察していたが、少年は、再び鴉の方に目を向けただけで、期待するような変わった反応は示さなかった。ただ、すぐになにがしかの反応も返さなかった。

少年は、小さな鳥の動きを眺めていた。思いの外長く。少女がおや、と思いかけた刹那、何の前触れもなく、少年は少女の方へと顔を向けた。

じっと観察していた分、目が真っ直ぐに合ってしまう。少女は反射的に、僅かにだけ後ずさる。体が反応してしまった。少年からすれば今までと同じように顔を向けただけだったのだが、僅かな動きを捕らえるために集中していた少女には、それがとても大きな動きに感じられた。

なんなの、むかつく。

反対に反応をしてしまった情けなさを打ち消そうと、少女は心の中で少年に毒づいた。そんな少女を見て、少年は小さく首をかしげると、再び鳥の遊ぶ木の葉の山へ目線を動かした。そして、問いの形をしているが、誰に聞くでもない様子で、ぽつり、と呟いた。

「野生、です、から、必要はない、の、でしょうか」
「……何が?」
「お墓を掘る、必要は」
「……お墓って! 冷たい、相馬くん冷たい! ってまあ、私が言うなって感じだけど」
「すみま、せん」
「え? なんで? フツーそこで謝る?」

少女は苦笑いをした。随分少年の「すみません」を聞いたような気がする。少年に否定的な言葉を紡ぐたび、少年の言葉に不利益な感情を得たと伝えたとき。

まさか墓と言われるとは思わなかった。先ほどから、こんなことばかりに思う。新しいおもちゃを手に入れたような気がして少女は嬉しいような心地になっていた。こういうとき、すぐに相手を弄りたくなってしまうのも悪い癖だ。けれど。止められない。少女はまた苦笑いを浮かべた。

ざわ、と風が吹き抜ける。横に流していた前髪が風に煽られ、視界に入る。いつもの仕草で、前髪を掻き上げ、思い出す。

「……あ、そうだ。相馬くん? あれ持ってったの」

少女の再度の問いに、少年はまた小さく首をかしげる。意図が伝わっていない反応に、己の問いの不親切さに気づいた少女は、もう一度、あれ≠ェ指し示す名詞をきちんと言葉にして問い直した。

「ここに着けてた髪留め。相馬くんに蹴られたとき飛んでいっちゃったんだけど」

少年はその言葉に、ぱちりと一つ瞬きをした。そして、少しだけ下に視線を落とした後、ぽつりと呟いた。

「梅の、花」
「そうそれ。知ってるじゃない。結構大事なやつなの」

返してよ、そう少女が手のひらを差し出して告げると、少年は口を開こうとしたらしい、一瞬ぴくりと唇を動かしたが、すぐにその動きは溶けるように消えてしまった。

「ん?」
「すみま、せん。あの教室で、先輩が付けて、いる、のを見たきりで、以降はわかり、ません」
「えー! どこ行っちゃったんだろ。絶対相馬くんが持ってると思ったんだけど」

違和感。今はきちんと感じた。やはり少女の感覚が鈍ったわけではないらしい。

おそらく少年は、髪留めのありかを知っている。しかし言うつもりがないらしい。『現在持っている者』の不利益になると判断したのだろうか。それとも私の――とそこまで考えて、口角が上がった。素直なように見えて、なかなか一筋縄ではいかないようだ。

少女にとってその髪留めは大切なものだったので、少年がありかを素直に告げないことに憤りもあったが、それ以上に面白いとも思った。

少年の言葉がどこまで真実なのかは結局分からなかった。しかし、いくら会話でごまかしながら、気を研ぎ澄ませても、己と少年と鳥以外の気配を周囲に感じることはできなかった。

俯いたまま、吐息で笑う。

奇妙な子だ。

少年は、少女の言葉以降、何も話さず、姿勢良く座りながら視線は黒い鳥の動きを追っていた。

「そーうまくん」

そう呼びかけると、少年はまた小さく首を傾げて、再び少女と目線を合わせてきた。そこにはやはりなにがしかのはっきり分かる感情は浮かんでいなかったが、なんとなく、本当になんとなく、真昼の月よりもずっと微かな、空気の塵のごとく幻の星を見たような、今までには全く気づかなかった、揺らぎ、のようなものを感じたような気がした。ほんの一瞬だけ。

「なんでもなーい。呼んでみただけ」

少年は目をぱちぱちと瞬かせたあと、やはり怒るでもなく、理由を聞くこともなく、ただこくりと頷いた。

「さーてと、会話にも飽きたし」

その言葉に少し首をかしげた少年に少女はにこりと笑う。そして手を伸ばした。少年の死角、腰背面に括り付けたホルスターに。

「相馬くんも疲れたでしょ」

その問いに、少年は今度は頭を横に振ることも、頷くこともせず、ただ少女の次の言葉を待っていた。

留め金を外し、慣れた手つきでひやりとした重い感触を掌に受ける。

「だから――そろそろサヨナラしようかなってね」

銃口を少年へと向けた。

「想像してくれたとおり、聞きたいことも聞けたし」
「……」
「本当に報告してないとかおっかしーの。素直に質問に答えてくれちゃって」
「……」
「幸い、周りに人はいない」
「……」
「この距離なら、避けられないでしょ」

約一丈。少年は何も言わず銃口を見つめ、その後ゆっくりと少女の目を見た。少年の瞳は相変わらず水のようで変わらず、なにがしかの感情も浮かんでいない。

少女は己の作った沈黙で空気を固めていく。刺々しいそれを少年が少しでも感じてくれるように。しかし、少年は動かず、喋らない。変わらぬ穏やかな空気を纏ったまま。

冷たい風が吹き抜ける。風は少女の足に当たり、向きを変え、小さな渦を巻く。少女が固めた空気を底からえぐるように。そして。

「……う」

しばらくの沈黙の後。その空気は崩壊した。銃の重さに耐えかねた少女は、がっくりと腕を下ろし、銃口を地面へ向けるとため息をついた。少年はそれをただ首をかしげて見ていた。

「あー、駄目かー。これならちょっとはびっくりしてくれるかと思ったんだけど。反撃しに来てくれたらバーンとやっちゃって正当防衛でしたーとか言えたのに。やっぱ全然怖がってない。ちぇー」
「先輩も、本気では、ありません、でした」
「えー、これでも結構本気感出したんだけど。演技だけは自信あったのに。相馬くんもう超能力者でしょ」

少年は首を横に振り否定の意を表す。馬鹿正直に答えられなくとも分かっている。超能力者などいない。……いや、いるかもしれないけれど。生憎ここにはいないはずだ。と思ったところで、ばかばかしいと少女は己にツッコミを入れる。少年のぼんやりした空気感に当てられて、空想癖でもできたのかもしれない。少女はまた己の愚かさを笑った。

「もしそうなら、相馬くんと占いの館でも作って、助手として大もうけしようと思ったのに……何で分かったの」
「撃たれるの、なら、間髪入れずに、撃たれるの、では、と、思い、ました」
「まあね。また避けられたらたまらないし」
「……それに、安全装置を、まだ、上げて、いらっしゃいません、でした」

下手な芝居を打って銃を構えたのは、最後の確認もあった。本当に少年が司令部や上層部と関係がないのか、監視されていないのかを知るために。

もし監視者が潜んでいて少年への防衛と称してこちらへ撃ってきたとしても、すぐに命まで奪われることはないだろう。死者は情報を喋らない。ここまでしつこく監視をしているとしたら、それだけ重要に思われていると言うことでもある。逃げることも出来るかも知れなかった。少女は大分落ち着いていた。

少年を見る。少年は少女に行く場所がないのではと言っていたが、違う。ただ――「元の場所」に戻るだけのことだ。

そして、ただ、会話の中で生まれた少年への好奇心から、少年の驚く顔が見てみたかった。別に本当に撃ったってよかった。監視者がいるのなら、どちらにしろ自分はなにがしかの方法で撃たれただろう、と少女は思った。

いないのなら――おそらく少年の観察眼から、あのときと同じく、また避けられたのだろう。避けられず怪我をしたなら、とどめまで刺すつもりだった。死人に口なし。少女が安穏に暮らすために、少年は邪魔な存在だった。消えてくれるのなら助かる。言い訳は得意だ。女が男に、あるいは訓練兵同士が撃つ理由など、いくらでも思いついた。

けれど――結局は安全装置のレバーを上げるという大切な根本の行為を忘れ、「もう一つの本当の武器」さえ使っていない。

何にせよ、格好を付けて演じた後の情けない指摘に、少女は少年の顔をまっすぐ見ることができず、銃を再びホルスターに収めるとその手で顔を覆った。

「それでどや顔しちゃった……恥ずかしすぎ」
「すみま、せん」
「謝らない! ……でもさ、コレ向けられた瞬間だって、相馬くん全然表情変わらなかったよね。あのときもそうだったけど、相馬くんさ、実は死んでもいいとか少し思っちゃってたりしてない? 大丈夫? ……私が言うのも何だけどさ」
「死んでは、いけないと、言われて、います」
「……なんか変な答えだね」
「しかし、死んでも、いいと、思って、いる、の、でしょうか」
「……は? 誰が? 相馬くんが? それだったら聞き返すのおかしくない? そんなこと言ったら親御さんが悲しむよって私が言うなって感じだけど……って、あ」

少年との会話に再び微かな違和感を感じ、少女は眉をひそめた。死んでもいいと思っているのでしょうか、と、どこか自分に問いかけるような口調で告げたあと、少年の瞳は少女でもなく、鳥でもなく、木でも地面でもなく、中空を辿り、どこか空の遠くを見ていることに気づいたからだ。

今までほとんど変化のなかった瞳の中に何がしかの淀んだ光のようなものが見えるような気がした。固く閉ざされた扉に隠されていた鍵穴だけでも見つけたような気がして、少女は気分が昇るのを感じた。

「あー、相馬くん。今なんか遠い目してたけど……何か考えてたの?」

そう少女が問うと、少年は小さく頭を振り、掠れた声でぽつりと呟いた。

「……夜に、引き摺り、こまれる、ような……」
「なにそれ……怖っ。何? 何がきっかけ? 会話中そんなのあったっけ?」

少年は静かに首を振る。やっぱり変な子だ、聞かなきゃ良かった。そう少女が思っていると、少年はそのまま再び遠くを見るような目をした。先ほどよりも深く淀んだ場所へ。気配が、薄れていく。少女には、少年が体を残してどこか遠くへ行ってしまったような気がした。戸惑い眉をひそめる。今なら武器などいらない。少年の口元を手でそっと押さえるだけで魂まで引き抜いてしまえそうな気がした。

「……」

妙に心臓の音が大きく聞こえた。少女は、一歩、を踏みだそうとして、背中に視線を感じ振り返った。黒い鳥が見ていた。心臓が跳ねる。しかし、きちんと見返せばこちらに首が向いているだけで見つめられてなどいない。それに、今はもう「そうする」つもりなどない。そのはずだ。少なくとも今は。爪に塗ったままだった薬をスカートの端でそっと拭う。心を落ち着かせるために一つ息を吸うと、少女は再び少年を見た。ぼんやりしてはいるが、理論的に相手を追い詰め、銃を相手に白兵武器で立ち向かうこともできる。なのに――今はなんだか眠る小さな子供のようにも見えた。

―――それは少女の経験則。

「……ねえ、相馬くん」

名を呼ぶと、まどろみから醒めたばかりのように、少年は、ぱちりと緩い瞬きをひとつしてから、こくりと小さく頷いた。

「いきなりなんだって感じなんだけどさ」

少女は少年から視線を逸らし言葉を続ける。そんな人たちをいくらでも見てきた。その結果の問い。少女は己の行為を子供っぽいとは思ったが、原因も分からず少し腹が立っていた。自身では気づかなかったが、少女が目の前にいるのに、少年が少女を置いて何処かへ行ってしまったような目をしたこと、そしてそのことに寂しさを感じたことに。

「相馬くんて……実はお母さん居なかったりしない?」

普通であれば親しくもない者に突然家族のことを言われれば驚くだろう。しかし少年はその質問に相も変わらずこくりと一つ頷いただけだった。

「なんとなくね、そうかなーって思っただけなんだけど、ごめんね。しかも分かったからなんだっていうんだけど」
「なぜ、そう思われたの、ですか」
「なんというかさ、相馬くん……」

誰もが同じように思ったりはしないのだろう。これは多分主観的なもの。

「…………寂しそうだからさ」

どこか虚ろを抱えた、廃墟に捨てられた人形のようなかたち。これは少女の少年に対する素直な感想だったが、少女はこんなきれい事のような言葉が自分の中にまだ残っていたことに驚き、同時に似合わずくだらない言葉を発したと恥ずかしくなった。言葉の音は消えたが、霧消した音の欠片が空気の中に残っているような気がして、それを吸うのすらたまらない気持ちになる。慌ててそれを払うように少女は手を振り、引きつった笑いを浮かべた。

「……なーんてね、恥ずかしい何これキモイ私。まあ、どうでもいいたわごとだから気にしないで」
「……先輩」
「お、さすがの相馬くんもそろそろ切れてくれちゃう?」

本当に切れて欲しいわけじゃなかったが、この問題に関しては優しい言葉を返されるよりも、切れてくれる方がずっとましだと思った。できるなら聞き流して欲しかったが、少年はなにがしかの反応を返そうとしていた。少女はまだ残る恥ずかしさと発した記憶を、冗談という煉瓦を積み上げて隠し、次の言葉を待つだけに集中することで忘れようとしていた。しかし懸命に積み上げた煉瓦はすぐ、粉々に打ち砕かれてしまった。

「……それは、好き、ということに、なりますか」

少年の奇妙な問いに。

「……」
「……」
「……は?! な? なんで? 私が? 相馬くんを? なんでそうなるの!?」
「怖い、変な子、寂しそうと、何度も深く、見て、下さろうと、して、いました」
「……」
「先ほど、そう、仰って、いません、でしたか?」

また、少年は素直に首を傾げる。邪気のないその様子がなんだか少女にはおかしかった。

「……ぶ」
「……?」
「あはははは、よ、良く覚えてるね、っていうか、相馬くんやばい、あはははは、まさか相馬くんが、こんな……完璧にひっかかっちゃった。相馬くんってそう言うことも言うんだ。ただのマジメくんかと思ってたのに、面白すぎ……すごい隠し球。なにこれ。あははは」
「……」
「相馬くん、実は私もね、母親いないんだ。だからかな、分かったの。寂しそうっていうのも本当だけど。まあこの時代、そんな子いっぱいいるもんね。当てずっぽうでも結構当たっちゃう」
「……」
「あー、おかしい。相馬くん笑わせてくれたし、同じよしみで、ってなんのよしみだって感じだけど」
「……」
「もしいつか死にたくても死ねなかったら私が殺してあげるよ」
「……」
「あ、安心して。銃の扱いはまだまだだけど、毒は結構得意分野なんだ。美味しくご飯食べておやすみなさーいで苦しまずコロっと逝けるようにしてあげる」

傍から見ればぎょっとするような提案だったが、少年はその言葉にも顔色一つ変えない。ただ今までとは少し違い、一秒程目蓋を閉じた後、また開き、静かに首を横に振った。

「じゃあ、こっちにする? でも痛いよ。これの場合、ちゃんと急所に当てないとなかなか死ねないし。相馬くん、もしかして痛いの好きな人? なら頑張るけど。というか、実際もうちょっと練習しないといけないんだけど。重くって」

少女はもう一度腰のホルスターから銃を抜き、掌でその重みを確かめるように上下に動かした。少年は先ほどと同じように顔色を変えることなく、静かに首を横に振った。

「そう……今なら『出血大さあびす』なんだけどなーってこの場合この台詞洒落にならないね。あはは。まあ、死にたいのと死んでもいいのとじゃ違うもんね。ざーんねん」

少年がどのように答えるかは分かりきっていた。「死んではいけないと言われている」。思い返しても奇妙な答えだと思う。取りあえず聞いてくれた返礼として、少女はがっかりといった体で言葉を返し、銃をホルスターに収めた。

「お心遣い、ありがとう、ございます」
「やっぱ相馬くん変だよ。でもまあ、面白かったし、いっか。まあ死にたくなったらいつでも言ってよ」
「はい、ありがとう、ございます」

少年の少しずれた会話にも慣れてきていた。それが少しの心地よさを感じることも。ふと、少女の脳裏に同級生の桃色の頭髪と笑顔が浮かんだ。全く似てはいないのに。

「あー、何かフワフワ。喋りすぎたかな……というか、相馬くんよくこんな話怒ったりしないで聞けるね。さすがにドン引きでしょ」

自嘲的に笑いながらそう言うと、少年はやはり少しだけ首をかしげてから、頭を横に振った。

「いや、そこは引いとこうよ。自分でもドン引きなのに。引くとこは引いとかないといざって言うとき相手をつけあがらせるよ。ってこれ私か。まあ一応まだ先輩だから忠告しとかないと……ふわああ」
「……大丈夫、ですか」
「実は昨日徹夜でさー、ずっと眠くって。あー変な気分なのもこのせいだな」
「お大事に、して、下さい。よければ、寮まで、送り、ます」
「相馬くんこわい。ここでその優しさ逆にこわい」

引き気味にそう言ってみると、少年はきょとんとした様子で、ぱち、ぱちと二つ瞬きをして少女を見た。『きょとんとした様子』。少女もそれにきょとんとする。記憶がどうのと言っていたとき、今の様子、もしかしたら、じっと観察を続ければ、他にもなにがしかの変化を見つけられていたのかも知れない。とてもわかりにくいだけで。

よく似た双子も、傍にいればいつかは見分けられるように。それともただの生理現象や気のせいで、やはり変化などなかったのだろうか。

けれどそれを知ることは多分ない。もうあまり会うこともないだろうから。少女は少しだけそれを残念に思い、またそう思った己の甘さを笑った。

「あはは。まあ何もないの分かってるけど。この時期、男子と女子が二人きりで、というか私と一緒に寮の前うろついてたら怪しまれるんじゃない? いろんな意味で。別に私はかまわないけどさ。あー、でも半裸くんがちょっとうるさいかもなー。あ、相馬くんもなんか噂あるし、気を付けなよ。噂って怖いんだから。それに……」
「……」
「今日はもう少し外の空気を吸っていたい気分だから」
「……それで、ここに、いらっしゃった、の、ですか」
「ここ人通り殆ど無いし、長椅子あるから地面に直接座らなくていいし、昼寝にちょうどいいと思ったんだけど。先客がいてさー、しかも相馬くんだから、焦ったよ。いや相馬くんは何も悪くないんだけど。いや、悪いかな?」
「……」
「相馬くんはもう少しここにいる?」
「はい。けれど、お邪魔、でしたら、帰り、ます」

冷たい風がふわりと頬をなでる。すぐに返事をしない少女を、少年はまた少しだけ首をかしげて見た。

「……」
「……」
「……ねえ相馬くん」
「はい」
「優しさついでに、もうひとつだけいい?」
「……?」
「まだここにいるならさ、その……肩借りてもいいかな。少しだけ」
「……」

こくり。少年が小さく頷くのを見て、少女は笑った。

「えへへ、ありがとう。相馬くんは神だね。では……よっこいしょ。じゃあカラスくんちょっと相馬くんお借りしますよーってあれ?  カラスくんどっかいっちゃったよ」

少女は少年の隣に座り、まどろみかけの浮ついた心地で黒い鳥に語りかけた。心配したわけでもない。語りかけたところで言葉が分かるわけもなかったが、一応許可は得たという安堵と、何となく照れくさいような感覚を紛らすために。しかし姿がない。黄や橙の枯れ葉の上なら、印象的な黒い色はすぐに見つかるはずだ。

少女は黒い色を対象に、もう一度辺りを見回してみたがやはり見つからなかった。鳥なのだから、どこかへ飛んで行ったのだろうと視線を戻そうとすると、かさり、と小さな音がした。音のした方向へと目を向けると、少女の座る長椅子の左側、少し離れた地面の上で、落ち葉の固まりがもぞもぞと動いている。葉の隙間に黒い色が見えた。

「あ、葉っぱの中。埋まってる。ねえ、あれ大丈夫?」

目線はそのままに、首を少し振り戻してそう問うと、少年も少しだけ身を乗り出して落ち葉の固まりに目を向ける。そして静かな声で

「……スミ」

と語りかけた。すると、落ち葉の山が、がさっ、と音を立て盛り上がり、見慣れた黒い姿が現れる。

「あー、出てきた。……スミ? 名前?」

黒い鳥はきょろきょろと何かを探すように首を振る。名を呼ばれたのでこちらへ来るのかと思えば何かに気づいたように向きを変え、とっ、とっ、とまた小さく跳ねるようにして違う落ち葉の山へと向かって行った。何だか自由だなあ、と少女は思った。

「同級生が、そう、名付け、ました。黒い、ので、墨なのだそう、です」
「単純だね……ん?」

少女が鳥から視線を戻すと、目の前に黒い布が差し出される。鳥を見ている間に脱いだのだろうか、それは先ほどまで少年が着ていた黒い外套だった。

「……よかっ、たら」
「いいよ、外套無かったら相馬くんが寒いでしょ」
「風邪を、引かないよう、言われて、います」
「引かないようって、言われただけで引かないならだれも風邪引かないから。っていうかさっき風邪引いて寝込んでたって言ってたでしょ」
「冬は、沢山、着込むように、言われて、います」

その言葉によくよく少年を見れば、学生服の上にも下にも上着を重ね、手袋、襟巻きと末端まで様々に纏っている。上着に付いた物入れには、懐炉だろうか、四角い固まりのようなものが入っているのも見えた。もこもこと着ぶくれをしたその姿が、少女には、先ほどの廃墟にうち捨てられた人形の印象から、お仕着せをされたぬいぐるみに変化して、ちょっと可愛いと思ってしまった。確かにぬくぬくと暖かそうだった。

「隠れて見えなかったけど、相馬くんよく見たらモコモコだね……これじゃ本当に撃っても貫通しなかったかも。なんてね。というか逆に暑くないの?」
「はい。……おそ、らくは。お気遣い、ありがとう、ございます」
「いや、それ私が言う台詞だし。……おそらくの部分は聞かなかったことにする。めんどくさい。でも折角だから遠慮無く借りるね。実はね、ちょっと寒かったんだ。あ、疲れたら適当に起こしてくれていいから。あー、あったかーい。ありがと」

外套に潜り込み、少女は嬉しそうに笑う。少年はそれを見て、やはり表情を変えることなく、ただこくりと小さく頷いた。

−−−

裏庭に据えられた古い長椅子の上、枯れ葉が一枚、風に吹かれ舞い落ちた。二つの人影。一人は少女、一人は少年。少女は少年の肩に頭を預け、目を閉じている。少年も俯き目を閉じ動かない。椅子の傍ら、少女と反対側の隅には黒い鳥が一羽、と、と、と、と枯れ葉の山の上で飛び跳ねている。風が吹き、地面の乾いた枯れ葉がころころと音を立て転がる。ふ、と少年は目を開く。己の肩に身を預ける少女に目線を動かし、正面へ戻す。そして――小さな声で呟いた。

「……おやすみ、なさい」

***

>>210618 アトネ練習板 学生戦争簡易リンク
>>209302 あったかもしれないシーン「綱を渡るかのごとくに言葉を並べ」
>>204983 続きのようなもの「郵便局前にて」
>>208079 その他日常「半裸くんと何森さん」
>>209112 続きの続きのようなもの「差し入れ」
>>210583 続きの続きの続きのようなもの「秋蚕」

随分前に書き終えた後、推敲を始めたら、ここが変じゃないか、説明不足じゃないかとどんどん問題が見つかって、ずっと泥沼状態だったような気がします。(初心者の罠)情けない作者でキャラに申し訳なかったのですが、一つ途切れていた道に橋を架けられた気がしてほっとしました。
スペースありがとうございました!

作者: そとさん [作者検索]

CT

No.253003 [編集/削除]

500 x 700 (121 kb)/ShiPainter/Q:1 2020年03月21日(土)

[赤・紅・緋] [学生戦争]

[傑作イラストに推薦]

四夜流氷さん

そとさん、こんにちは!
この距離ならバリアは張れないな!(訳:お隣失礼しております)
敷き詰められた紅葉のキャンバスを切り取るようなお二人の黒の制服(と肌の白)の対比が印象的で綺麗です><

[読了後の追記]
何森さんの黒の制服のスカートの上にふわりと載っている紅葉が
透君とお話ししたことで心の中に生まれた気持ちの象徴のようで、印象的です。

更新:2020年03月21日(土) [No.253003-1 - 編集]
隠れファンさん

秋の装い一色。
状況変化を受け容れ合う一体感。
晩秋を感じられる作品ですね。
美しい情景だなと思いました。

2020年03月21日(土) [No.253003-2 - 編集]
日野 紅史朗さん

美しい〜vv
深みがあり、なおかつ目に焼き付くような赤い落ち葉がとても印象的です。
寄り添うように眠る二人も、純文学小説に出てきそうな感じでとてもノスタルジックな雰囲気がありますね〜。とても殺し合いのお話とは思われない…。
秋らしい少し寂しげで儚さを感じる一枚!ありがとうございました!!
そと様の作品の雰囲気大好きすぎる!!!!

2020年03月21日(土) [No.253003-3 - 編集]
ぷらむさん

こんばんは!
深みのある赤系の色使いが美しく秋の日暮れの空気まで伝わってくる素敵な絵に感動しました!
このまま小説の表紙になりそうですね!
横たわる二人の制服姿や落ち葉の色合いがどこか物哀しく心に訴え掛けるような叙情的な雰囲気に惹き込まれます。
葉っぱの厚みを感じる描写が素晴らしいです!

2020年03月21日(土) [No.253003-4 - 編集]
そとさん

>四夜さん
ATフィールドしかり、逆転の発想で近づくことで人の本当の心が見えてきたり、話せるようになったりすることもあるのかなと思いました。透の距離感が近めなのはそういう知りたい心があったからだったのかもしれない……と今更気づく何年目かのポンコツ……。ヽ( ゚д゚ )ノキャラが至近距離にいるときに使われるタグというお話も伺ってちょっとほっこりしました。(*゚ェ゚*)タグも色々ありますね。使ってみたい日本語とか、雑な説明とかちょっとお間抜けな話が好きです。(笑)完成まで四苦八苦だったのですが、止まってしばらくすると内側から何森にじとっと見られているような気がしたり、透がてくてく歩き出したり、逆に背中を沢山押してもらった気がします。何森に下さったお言葉が綺麗で優しくて、よかったね!と、もしかしたら親ばかな気持ちはこんな感じなのかもしれないなとちょっとくすぐったくなりました。暖かいお言葉ありがとうございます……!ヽ(*´▽`*)ノ

>隠れファンさん
一緒にお寺の縁側に座って静かな秋の庭を眺めているような爽やかで嬉しい心地になりました。(*゚д゚*)素敵なお言葉とても励まされました……!ありがとうございます!

>日野さん
完成後ミイラ状態だったので、日野さんのお言葉が雨のように優しく染みわたりました。葉は表情豊かで美しくも、見るのと描くのではまた違うのだ……と再認識ができた一枚でした。(;∀;)(笑)それでも形になっていくのは楽しくて、印象的のお言葉に諸手を挙げて頬を緩めたくなりました。二人に下さったお言葉も暖かくて、ぼんやりしていたイメージが重なってはっきり輪郭を持たせてくれるようで。少し昔の小説が好きなので、純文学小説に出てきそうとお言葉もとても嬉しかったです。(∩´∀`)∩本筋はシリアスなはずなのですが、グリーンモンスターな自キャラばかり描いている気がして、振り返ってみたら実際もそうで、最初の漫画はトンファーボタンで間欠泉が出る漫画でした。(何を言っているのか)日野さんに大好き頂けて嬉しくて宝箱にしまい込みました!ありがとうございます!ヽ(*´▽`*)ノ

>ぷらむさん
秋の風景にほっとさせてもらうことが多くて、ぷらむさんに葉っぱの厚みや秋の日暮れの空気を感じたとお言葉を頂けてフワフワ舞い上がりました!話にイメージしていた雰囲気に合うお言葉まで頂けて、葉に撃沈されて逃げ出さないでよかった!と切に思いました。(笑)ぷらむさんが下さったお言葉で、目を閉じた世界で二人の風景が少し彩りや温もりを増してくれるように思えて、逆に暖かい心地を頂いてしまいました。素敵なお言葉ありがとうございます……!(*´▽`*)

2020年03月29日(日) [No.253003-5 - 編集]

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