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そとさん 帰る場所3.8
イラスト「帰る場所3.8」

2500 * 800

https://oekakiart.net/oeb10/data/G>>209204.jpg

>>209195
死霊――。

息を吸う。
重い頭とふらつく足に力を込める。

刀を拾い、構え、
迫る影の手へ振り下ろそうとして――
動けなくなった。

あ り す

だって、これは。
この声は。

「お前を捜し、さまよっていたのを捕まえた」

男は笑う。片頬で。

泣いている。
暗いよう、どこにいるのと泣いている。
怖いようと、痛いようと泣いている。

失われた少女の声。

「探していたんだろう? 仲間≠」

仲間。
涙。赤。ぬいぐるみ。血。背中。刀傷。
どうして。なんで。ちがう。そんなわけ。

かたかたと刀が震えている。
違う。震えているのは自分の手。
手のひらが湿りを帯びる。
呼吸が速くなる。

あ り す

俺は。
俺は……!

迫る影の手を、体をよじり、避ける。

「折角会えたのに、残念だったな」

楽しそうな男の声。

「そいつはもう何も覚えていない。ただ強くお前を渇望し、名を呼ぶだけだ。
生まれた場所も場所だ。随分負の感情に晒されただろうな。
ここに来るまでにも随分消耗している。やがて消えるか――悪霊に変わる」
「駄目だ!」

それだけは絶対に。

悪霊になれば、浄化されるまでずっと、深い苦しみの中を惑うという。
浄化されたとて、重ねた罪が重ければ、罰が与えられるのだという。

現世をさまよい続ければ、
別の悪霊に食われることも、
悪魔に捕まり利用されることもある。

やがて弱り、崩壊すれば、魂の死を迎える。

死した魂は、砕け、大気に混ざり、
他の目に見えないものたちの養分となり、
完全に消える。

かろうじてそれを避けられたとしても、
いつか同じように砕けた他の魂の欠片と繋がり、
再び形を取り戻すまで、何をすることも叶わない。

しかし、個を得たとしても、もうそれは彼女ではない。
彼女だったものではない。

あ り す

振り返る。
旋回し、速度を増した影の手が、伸ばされる。

『ありす?』
『お、どうしたんだ、こんな時間に』
『……』
『眠れないのか?』
『……』
『……おいで』
『……うん』
『何かあったんだろ? 話してみな』
『……』
『兄ちゃんには内緒にしておくから』
『……あのね』
『うん』
『このあいだ、あたらしいこがきて、おねえちゃんになったの、わたし……』
『うん、面倒を沢山見て頑張ってたな』
『……なのにね』
『うん』
『こわいゆめ、みて、ねむれなくて……』
『……』
『おにいちゃんは、おしごと、がんばってるのに、わたしも、がんばらないといけないのに』
『……』
『……』
『……俺もさ、たまにあるよ』
『ありすも? こわいおばけをたくさんたいじしてるのに?』
『そう。退治してるのに。それはそれ、これはこれでさ』
『……』
『大人だって怖いものは怖いんだ。だから、恥ずかしいことなんて何もないぞ』
『……ほんと?』
『誰かが悪く言うなら、俺だってそうだーって飛び出してやる!』
『……』
『だからさ、一緒だよ。気にしなくていいんだ。怖いときは、誰かを頼っていいんだ。さーて、折角頼ってきてくれたんだから、俺も答えてやらないとな! 今何か暖かい飲み物と、本でも……ん? どうした?』
『あのね、ありす』
『うん?』
『おうた……わたし、ありすのおうたが、ききたい』
『歌? 俺のでいいのか?』
『うん。ありすのおうたが、ききたい』
『そうか! いいぞ! じゃあ飽きるまで歌ってやるか』
『わーい』

そうだ。
歌だ。聖歌を。
祈りを込めて。

「枝、葉を……揺らす……そよ……風に……」

幾度の攻撃を避けながら、
夜の静寂にぜいぜいと、吐息ばかりの歌が響く。

どれくらい歌っていただろう。
ふと、風が、止まった。

届いただろうか、届いてくれただろうか。
願いを込めて、影の手の元、ぬいぐるみへと目を向ける。

影の手は止まっていた。

けれど、同時に、僅かの違和感。

聖なる気を感じない。
いつも歌い始めると周囲に満ちていくはずの、澄んだ空気が。

瞬間。

先ほどよりももっと、強い風が吹き付けた。

目を開けていられない。
体をかする小石。
強い圧迫感に体が押され、足が後方へと滑る。
耐えていたが、空気に殴られたような、更に強い力が加わったかと思った瞬間、
体が浮き上がり、背中に強い衝撃を受ける。
息が止まる。

地面に叩きつけられていた。

冷たい圧迫。
腕が、背が、頭が、痺れ、冷えていく。

衝撃の瞬間、閉じたまぶたを開けば。
体は数を増した影の手に掴まれていた。

「どう……して……」

喉の奥でまた、くく、っと笑う声。

「お前は喪失に神を恨んだ。神は神を信じぬ者に力を与えない」

神さまを……恨んだ?

わからない。

どうして、なぜ。
確かにそう何度も問いかけた。

けれど。
ずっと答えはないままに。

柔らかに笑う無邪気な笑顔。
すぐにでも思い出せる。

静かに暮らしていた。
ただそれだけだった。

どうして、なぜ。

夜の中、一人泣いているのに。
歌って慰めることも、手をとってあげることもできない。

俺は、
何のために強くなろうとしたのだろう。

生き延びたのだろう。

『有栖』

笑顔。遠い記憶。
ただ泣くことしかできなかった小さな子供の自分。

強くなりたくて、守りたくて、旅立ち、離れた。
けれど。

何の役にも立たない。
今も、昔も、ずっと。

ずっと。

握りしめる拳の向こうで、男が砂利を踏みしめる音。
冷たいそよ風が、男の短い髪を揺らしている。
男は首を僅かにだけ傾げた。

「生存者を発見したとして、その後はどうするつもりだ?」
「俺、は……みんなで……また……」
「同じように生活ができると思うのか。助けたいと思う者がいて、相手もそれを分かっていながら、死を望み、選んだ。お前は彼らにとって、死者よりも優先度が低い、その程度の存在だった。もし死を選んだ者たちをお前が救ったとしても、結局は事件の恐怖と後悔に怯え、生き続ける苦しみから、お前を恨むことになったかもしれない。お前が――」
「……」
「――お前自身を恨むように」
「俺……は……」
「なぜ巫女が、神殿が襲われたか分かるか」

分からない、そんなのは。
俺たちはただ、静かに、ささやかに暮らしていただけだった。
ただ、それだけだったんだ。
考えも及ばない。

「神のせいだよ」
「え……」
「巫女は力を持っていた。人智の及ばぬ強い力を。神々から深い恩寵を注がれていた。一方彼らは個々様々の理由から、神を恨んでいた。嫉妬、恐怖、欲望、あるいは願いの障害として、破壊の対象に選ばれた。大きな力を持つが故に、見せしめとして」
「そん……な……だって因幡は……確かに力はあった……けど、その力を自分のために使うことはほとんどなかった。逆に、そのせいで……小さい頃は、嫌な目や辛い目に沢山あったらしいって……なのに、他の人たちの前じゃ、そんな姿、ぜんぜん……いつも冷静で、強くて、優しくて……」
「言い方を変えりゃ、神に直接抗議できない奴らが、代わりに鬱憤を晴らす対象だ。個人の人格など気にすると思うか」
「……」
「他者への嫉妬や羨みは誰の心にもある。同じことが繰り返される可能性はいくらでもある」
「……」
「お前も恩寵を受ける者の一人。共に過ごすことを恐れる者もいるだろうな」
「俺……は……」

ただ生き延びてくれたらいいと、再び会えたらきっとまた同じようにと、それだけを、思っていた。

単純な思考。

時が戻るはずもないのに、どこかでこれは夢で、目を醒ましたら全てが元に戻るのだと、思っていた。思いたかった。

「今もそうだ。お前たちは神に祈りを捧げるが、神はいざというとき、お前たちを助けたか」
「……」
「少し前にどこぞであった戦では、干渉があったらしい」
「……えっ」
「不完全に人を作ったのは神々なのに、多様性の名の下に不平等を広め、いざというときには何もせず、自らの都合で干渉する」
「……」
「この世界は一体何だと思う?」
「……」
「神々の遊技場だよ」

ため息を吐くように、
声もなく静かに男は笑った。

「遊技、場……」

きしむ首を上げ、見つめた男の瞳に、一瞬。

虚ろで深く、けれど胸が締め付けられるような、
上手く言葉にできない何かが走ったように思えたが、
それはすぐに笑みの中に消えてしまった。

頭がぎゅうと締め付けられるような感覚。
耳鳴りがする。
耳に氷を押しつけられているような冷たさ。

寒い。寒くてたまらない。
体が震えて止まらない。

けれど、それが血の上っていた頭を少しだけ冷静にさせる。

なぜ。

なぜ男は、こんな話をしているのだろう。
なぜ、すぐに俺を殺さないのだろう。

男の話の奥にあるもの。

どうすればいい。
何か理由があるのかもしれない。
何かの時間稼ぎなのかもしれない。
あるいはただの気まぐれ、なのかもしれない。

けれど、それは俺にとっても僅かの猶予。

考えなければ。力が全て失われる前に。

俺はどうなったっていい。
だから。

息苦しさに空気を求め、小さく口を開けた。
その瞬間、冷たい手が心臓を一掻きしたように思えた。

「……っ!」

激しい動悸に息が止まり、咳き込む。

刹那、記憶が飛ぶ。
意識の混濁。

駄目だ。駄目だ。駄目だ。
無意識に、服ごと胸元を握った拳。
力を込める。
空気を求め、口を開けるが、
喉は固まり、何も入ってこない。

力が、抜けていく。

駄目だ。
目を閉じてはいけない。

俺は一人なんだ。
俺が何とかしないとこの子はどうなる。

神さま。
俺はどうなったってかまわない。
だから。ほんの少しでいい。力を下さい。
お願いです。

動け。動くんだ。動いてくれ。

「……」

痛みを伴い、僅かに吸い込めた空気の中に、
ふと、澄んだ、水の香りを感じた。

側に水場はなかった。
空。月。雨雲もない。

明るい。けれど夜明けはまだ遠い。
月。違う。もっと強く、優しく。

『人は死に向かうとき、美しい川辺を見るそうですよ』

暖かい。
春の兆しのような、やさしい――遠くから、誰かが。

握った拳の中に爪を立てる。
駄目だ。目を醒ませ。
体に残る力をかき集め、拳を更に握る。

突き刺す痛みで、固まっていた体が少しだけ動く。
閉じかけていたまぶたを上げる。

朝のもやの中にいるような、柔らかな光の中。
出られない。

けれどまだ、見える。
男と月夜の荒野。

まるで世界が二つ存在していて、
今までいた世界にもう一つがそっと重なるように。

不思議な空間。
体に纏っていた影の深さが、薄れ――肌の色を持っていく。

ちいさな手。
それだけじゃない。少し皺の寄った手。日に焼けた手。

「……」

横たわり、握る拳が、頬が、触れる大地。
何かの音がする。ずっと奥深く、何かが流れていくような音が。
微かな振動と共に。

草の中を、木の中を、石の中を、流れている。
何か、暖かなものが。
光が流れていくのが、見える。

俺と男しかいないはずの荒野に、
もっと沢山の何かが存在しているような、
音のない、ささやきとざわめき。

こぽり。

体の中からわき上がる、一つの小さな水音。
耳を澄ませば、深く、深く沈んでいく。
辿り、降りていく。

神さま。みんな。男。
祈り。神父様。懺悔。

深く、深く。自分の心の奥深く。

苦しい。悲しい。けれど。

「違……う……」
「……あ?」
「どうして……ってさ、なんで、って……俺……俺が苦しいことに……神さまは……関係ないんだ……俺が……ただ……弱かった……」
「……」
「お前が、言うとおり……みんなが……俺のことを……二の次だって……いいんだ。だってさ……俺も……俺だって多分……」

そうだ。
俺だって、多分。

「代わりを……求めてた……」

『有栖』
優しい笑顔。

握り続けた拳をそっと開く。
繋いでくれた温かな手。
今は汗に濡れて、冷たい風を感じるだけ。

けれど冷たい風に導かれ、
手のひらから指先を辿れば、
その先に、星が見える。

もう少し、首を傾げる。
深い闇。夜の空。
その中にも、流れが見えた。
もっと巨大な、空いっぱいに広がる、
枝のような、根のようなかたち。
こぽこぽとその中を流れる何か。水の音。

飛び交う小さな光と。

歌。

遠くかすかに。
さやさやと、静かに揺れる、草葉の音にさえ、
かき消されてしまうほどに小さいけれど。

確かに聞こえた。

知らない、歌えない。
けれど、優しく包み込む、
いつかどこかで聞いた歌。

因幡の歌に、少し似ていると、思った。

せき止められた水が流れ出るように、思い出す。
はっきりと思い出したくなかった記憶。
因幡。神殿。叫び。刀。男たち。十字の男。聖別された銃。
血に塗れた小さな手のひら。

そうだ。

あの集団は、巫女を殺しに来た≠ニ言っていた。
けれど、男は巫女に用があって来た≠ニ言っていた。

「お前……仲間は、どう、した」
「……仲間? ああ、あいつらなら……」
「……お前は……違う」
「……あ?」
「お前は……あいつらと……仲間じゃ……ない……」

男は眼を細め、俺を見やり、
やがて俯き肩を揺らしはじめた。

「……なるほど」
「……」
「伊達に最年少合格者じゃないってことか。しかし――それが分かったとして、なんの意味がある」
「……」
「……中央の奴らに追われれば、無事じゃ済まねえだろうな。捕まったか、逃げたとしても、どこかでのたれ死んでるんだろうよ。ああいう輩は内部争いで自滅するのがオチだ」
「……」
「俺は俺のやりたいことをするだけだ。仲間? めんどくせえ」

仲間じゃない。
仲間を求めない言葉。
それなら、男は。

風。
乾いた草の揺れる音。
吹かれた雲が、時折月光を陰らせていく。

男の奇妙な輪郭。
光の当たらない影の部分が妙にぼやけて、透けるように見える。

そのすぐ側。
影の手の伸びる元。
ぬいぐるみ。
巻かれた黒い紐。
辿り、辿り、辿る。
他とは違う、痺れるような、不思議な力の流れ。
紐は男の影に繋がっている。

――錨のように。

そして、男の纏う微かな香り。
懐かしい。けれど、もう失われた――遠い地の。

「潮時だな」

陰る月を眺め、男はぼそりと、小さな声で呟いた。
感情のない瞳が見下ろす。

「お前を助けに来ない……側に巫女はいない」
「……えっ」
「まあ、どちらでもよかった。神殿で初めて会ったとき、お前は瞳に闇を抱いていた。生きているのならと消えた先を求め、興味を持って訪ねたが」
「……」
「お前もまた、再び俺の銃で傷を負った」
「……」
「お前は何のために生き延びた? 恨みを晴らすためでもなく、過去を切り捨て生きていくわけでもなく」
「……」
「結局お前も、他の奴らと同じ、くだらない神々の手のひらの上で、誰かの幻を追っていたのか」
「……」
「幻は何も益を与えない。与えるとすれば――決して手に入らないものへの渇望と、苦しみだけだ」

――まぼろし。

細い息の繋がり。
風が微かに頬を撫でる。

なん、だろう。
先ほど感じた見知らぬ存在のようなものが、
側にいるような気がした。

冷え切った指先に、何か綿毛のようなものが触れて、消えた。
そこから温もりが小さく灯り、染み渡っていく。

指先が――動いた。

遠くから、誰かを呼ぶ声。
俺の、名を呼ぶ、声。
鳥の羽ばたき。

閉じかかっていた瞳を僅かに開けば、
男はにやりと笑っていた。

目が、合う。

「誰のことを考えた?」

神父様。シスター。大人たち。子供たち。
まだ、暖かな手。

紙片が月の明かりに照らされ風に舞う。
弾を込める、小さな金属音。

「お前はそのまま死んでいけ」

男は十字架を弄ぶ。
先ほどよりも、その輝きが、頬の十字が、淀んで見えたような気がしたのは気のせいだろうか。

「少しは楽しめた。が、少し足りねえ。気晴らしに神父は殺しておいてやる。はなむけだ」

そっと掲げた銃に、十字はなかった。

「どちらが先に死ぬだろうな」

優しい人々。暖かな手のひら。

確かに神さまは助けてはくれなかった。
神殿は、因幡は力があったせいで、襲われた。

けれど。

「……立ち上がるのか」
「確かに……この世界、は……お前の言う、とおり、不完全……なのかも、しれない。悲しいことや……苦しいことや……もっと……俺なんかの考えが及ばない……悲しいこと、だって、きっとたくさん……あるんだ。けど……けどさ……不完全だから、頑張ってどうにかしようと、一人じゃできないことがあるから、みんなで支え合おうと、できるんじゃ、ないのか。俺は……俺はさ、この世界があるから……神さまが作ってくれたから、みんなに会えた……」
「……っは」
「……」
「そのみんな≠ニやらはどこに行った? もういない。誰も。お前が守った巫女さえも。それでお前に何が残った? 何も残さなかった。苦しみ以外は」
「側にいないからって、もう会えないからって……みんなといて、嬉しかったり、楽しかったことが、なかったことになるわけじゃ、ない」

纏う影の手の一つに触れる。

「ごめんな――」

円を描き、切り捨てる。
叫び。

「……面白え」

男の言うことは間違っていない。

幻。本当は――ただ一人を幸せにしたかった。
その人を思えば、苦しいことも、辛いことも乗り越えられた。

何のために戦うか、
何のために生き延びたか。

願いがあった。
けれど守りたかった人を失った後は、
ただ――目の前に提示された選択肢を選び続けただけ。

だけど、その選択肢を選んだのは、確かに自分じゃなかっただろうか。
何を考えていただろう。
何を願っていただろう。

別れるのは嫌だ。離れるのは嫌だ。
当たり前だ。嫌われたくなんてない。

けれど――

体が動いた。

恨まれたっていい。

一緒に居たくないと思われたっていい。

俺のことを、忘れてしまってもいい。

俺だって、俺が嫌いだ。
弱くて、役立たずで、すぐ俯いて。

それでも。
そんな俺に、笑いかけてくれる人がいたんだ。
手をさしのべてくれる人がいたんだ。

だから。

生きているなら、
幸せでいて欲しいんだ。

俺にじゃなくていいから。
側でじゃなくていいから。

誰かと優しく笑っていて欲しいんだ。

対峙。

終わりの無いような、閉じた世界。
男の発砲した弾が熱を持ち、掠り、当たり、痛みと熱を伝えてくる。
だけど、どうでもいい。男だけは止める。
これ以上、優しい人たちを奪わせない。絶対に。

閉じた世界を打ち破る、小さな、とても小さな発砲音。
機敏な動きで反応した男のすぐ側の足下で、砂利がはじけた。

男は目を見開き、ほんの僅かにだけ動きを鈍らせた。
行く。一瞬だけの隙。
刀を抜き、進む。

そうだ、行け。

見知らぬ声が背中を強く押した。
速度が増す。
刀身が、影を纏った。

全てを乗せる。体がぎしりとたわむ。けれど、行く。
駆ける。抜ける。

切っ先が届いた。

『有栖といると、きっと大丈夫だって気がするんだ』
『有栖が優しい人だってことを、きっと……どこかみんな、分かっていたんだと思いますよ』

みんな。因幡。
俺はいいやつでも優しいやつでもない。

聖歌が効かなかったのは、
きっと、神さまに力を貰えなかったからだけじゃないんだ。

浄化をしたら――もう、声が聞けない。

俺はあのことが全て本当で、
自分の手で全てを終わりにしなければいけないことが――辛かったんだ。

伸ばされた影の手を振り払えなかったんじゃない。
離したくなかったのは、俺の方だった。

一緒に、いたかった。

夢を、見ていたかったんだ。
みんなと一緒にいる、優しい夢を、ずっと。

男の腕に、
赤い血がはじけた。

父や母と一緒に居たかった。姉と一緒に居たかった。
優しい笑顔が大好きだった。
思い出せば、いつも春の日向にいるような気がする。
でも、もう会うことはできない。
代わりはいない。

幻は何も与えてくれないと男は言う。
確かに声もしない。姿も見えない。意識もできないけれど。
もしその話をしたら、そう行動をしたら、
父や母や姉が笑ってくれるかもしれないと思うと、
少し前を向くことができた。

時がたつにつれて、思い出は薄れていく。

代わりに、新しい思い出が増えた。
色々な人に出会い、名前を知った。
父でも母でも姉でもないけれど、
『誰か』でもないひとたちと。

ぽかりと空いた穴に、落ち葉が、雪が降り積もるように、
ほっとするたび、笑うたび――

怖くなった。
思い出が増えれば増えるほど、
父や母や姉たちのことを忘れてしまう気がして。

でも、そうじゃなかった。

さしのべてくれた手をおずおずと握り、立ち上がれば。

人の間にいるからこそ、何度でも感覚を辿ることができる。
こんなこともあった、あんなこともあったと、思い出せる。
失ってしまったからといって、薄れてしまったからといって、
その時間が夢でもなく、嘘でもなく、本当にあったことなのだと、
暖かなものはちゃんと残っていることを、思い出させてくれた。

はじめは確かに幻を追いかけていた。
けれど一つ一つを思い返せば、浮かぶのは、
別々のみんなの顔。

上書きじゃない、新しい記憶。

代わりじゃない。
気づけば側にいるのは、新しい大切な人たちだった。

よろめく男の影に繋がる、黒い紐へと刀を振り下ろせば。
男の姿は揺らぎ、薄れ。
消えた。

最後の瞬間、男は、嬉しそうに笑っていた。

聞いたことがある。
死霊を標として、道を辿る禁忌の術。
男は多分――。

見張り塔の地図。
懐かしい風。

村外れの結界。
満月。
不思議な力が強まる日。
神殿で撃たれた腕の痛み。

これは遠く、神秘の力で繋がれた道。
このままでは再び男が来るかもしれない。
けれど神の力を失った今の俺には、その痕跡を断ち切ることができない。

振り仰ぐ。あの音は、あの男の隙を作ったのは、あの温もりは、多分。

側に落ちる手紙の欠片は。
――白紙。

「……」

どこまでが真実で、どこまでが幻だったのだろう。

『気晴らしに神父は殺しておいてやろう』

遠く、名前を呼ぶ声がする。

ごめんなさい。

あんなに暖かく優しくしてくれたのに、
巻き込んでしまって、ごめんなさい。

でもきっと、神父様たちは、気づいてくれる。
男が繋いだ痕跡を消してくれる。

ごめんなさい。

一歩。

血がぼたぼたと、したたり落ちていく。

一歩。

助けたかった。
一緒にいたかった。
けれど、間に合わなかった。役に立てなかった。
せめて。

白いもやが濃くなっていく。

ぼやける視界を頼りに、手を伸ばす。
柔らかな感触。触れる。
拾い上げる。

あ り す ……

声。

まだ、残っている。

微かに。だけど、確かに。
影も、声も、薄れ、消えかけていたけれど。

あ り …… す ……

「……」

今度は、俺……間に合ったの、だろうか。
神さま。

ここにいる。
ここにいるよ。

膝から崩れるように座り込み、
抱きしめる。

痛かったよな。
ごめん。
ごめんな。

微かに残っていた影がふくらみ、
ふわりと冷たい空気が髪を揺らす。
俺を丸ごと包み込む。

寒い。苦しい。冷たい。痛い。
でも、もう離さない。

俺が助けられて暖かい寝床にいた間も、
ずっとこんなに冷たい中にいた。

ごめんな。ずっと気づかなくて、ごめん。

頭が割れるように痛い。重い。でも、まだ。まだだ。

…… あ り す ?

問いかける、声。

うん。そうだ。そうだよ。
ここにいるよ。
もう大丈夫だよ。
笑う。

俺の残りの力と記憶を全部あげるから。

もう、泣かないで。

『……有栖?』
『あっ、おねえちゃん』
『どうしたの? あら』
『あ、あのね、その……』
『ごはん、作ってくれようとしたの?』
『……おねつ……おいしいものたべて、げんき……でも……ごめんなさい……
おねえちゃんみたいにできなくて……ぜんぜん……ごめんなさい……おやさいさんごめんなさい……』
『有栖ったら。大丈夫よ。ほら、上の方は柔らかいから食べられるよ。いただきます』
『あ』
『……うん! おいしい! 有栖の優しい気持ちが入ってるからかな。元気になれそうよ』
『ほんとう?』
『ほんと。……ね、有栖』
『なあに?』
『そんな顔しないで。初めてなのに、これだけできたらすごいわ。確かに失敗するとがっかりしてしまうけど、後で振り返ってみたら、楽しいお話にできることも多いのよ。この間、お姉ちゃんが作った長すぎる麺覚えてる?』
『いつまでもおなべからでてこなかった!』
『折角有栖がお皿を持っててくれたのに、時間がかかっちゃってね。あのときは本当ごめんね』
『でもおいしかったよ』
『ありがと! あれ、これ褒められていいやつだっけ?』
『そうだよ!』
『そっか。でも次は失敗しなかったでしょう?』
『うん』
『失敗したら、何で失敗したのかなとか、今度はもっと頑張ろう、上手にできるようになろうって、考えたり、思えるでしょう? ほら、お歌の練習はどうだった?』
『おうた?』
『この間歌ってくれたお歌。一回目より二回目、二回目より三回目の方がずっと上手に歌えたでしょう?』
『うん』
『私はどれも好きだったけど。今できる限りのことを精一杯やったら、失敗しても、成功しても、きっと次に繋がっていくって。お母さんが言ってた。だから大丈夫。有栖は頑張り屋さんだから、きっとすぐ上手になっちゃうね。あー、私もはやく元気になって、有栖においしいもの食べさせてあげたくなっちゃった。早く治さなくっちゃ! 頑張るからね』
『うん!』

お姉ちゃんがご飯を作れなくて、おいしいものを食べさせてあげたくて、作った。
もしお姉ちゃんが元気だったら、作らなかった。

転んで泣いても、立ち上がれるようになったのは、
上手く歌えなくて泣きそうになったけど、歌えるようになったのは。

沢山の人がいて、沢山の他の生き物たちがいて、
多分、神さまはそこまできっとたくさんいない。

大きな力。

手を出してはいけなかったのだとしたら。
手を出せなかったのだとしたら。
信じられて、手を出さなかったのだとしたら。

「……」

もっと力があったら。
もっと早く気づけたら。

そう願うとき、いつもその力はそこにない。

だけど、できる限りのことを、持てる力で、精一杯。

『有栖』

お姉ちゃん。みんな。
会えたら、話したいことがたくさんあるんだ。
あのあとのこと、みんなのこと、それから。
たくさん、たくさんあるんだ。

「ああ、そうか……」

怒りの奥の、悲しみの奥。

因幡。みんな。俺は――

寂しかったんだ。ずっと。とても。

だけど、みんなが笑ってくれる間は、それを忘れられた。

悪霊を退治したり、仕事を手伝って、助けてくれてありがとうって、言ってくれたけど――逆なんだ。
ぜんぜん。ずっと救われていたんだ。

だから、きっと。

「あり……がと……」

どうか、どうかみんなが笑顔でいられますように。

作者: そとさん [作者検索]

CT

No.209204 [編集/削除]

2500 x 800 (891 kb)/ShiPainter/Q:1 2018年02月23日(金)

[宗教学戦] [お借りしました] [学生戦争] [帰る場所]
拍手レス 独創的で素敵! 2018年02月22日(木) 11:21 隠れファン
ハガネン銀さん

こんにちは!
前回に続くこちらはアリス君のお話だったのですね…(最近どんどん理解してきました 違ったらごめんなさい)
セリフなし漫画というのも情緒あって素敵ですよね。
読み手側が「どんなセリフを言ってるんだろう」と考えるのが楽しいです。
この細い線の集合体が好きです。
その表現をしいぺで出来るということが凄すぎる・・・。

2018年02月22日(木) [No.209204-3 - 編集]
四夜流氷さん

こんばんは〜!
アニメの設定資料集にある絵コンテと脇に記された台詞の構成が大好物なので、ラフに描かれた絵と動きを感じさせる画面構成からそれを彷彿とさせて引き込まれました><
台詞の流れと併せて見ることで場面場面のセリフをイメージできるのも素敵ですね!
 哀しいお話なのに申し訳ないのですが、悪い眼鏡さんの愉悦部的な雰囲気が気に入ってしまいました(・ω・)
彼なら「神か・・・最初に罪を考え出したつまらん男さ」と言ってくれそうなんて思ってしまいました><

2018年02月22日(木) [No.209204-4 - 編集]
拍手レス 迫力があって良い。 2018年02月23日(金) 08:51 隠れファン
そとさん

>ハガネン銀さん
銀さん、こんにちは!最初はただ一本の四コマを描くための前振りだったのですが、楽しくてどんどん長くなってしまいました。(笑)ただでさえ複雑な中、パラレル設定にも関わらず、銀さんが有栖くんのお話と分かってくださって嬉しかったです。(*'∀'*)せめて絵だけでも何となくの流れが分かればと思ったのですが、自分の描けるキャパを大幅に超えて時間ばかりかかってしまって、もう駄目だとかいやまだまだできるとか、マリオの土管から修造さんが出たり入ったりするみたいな精神状態(何を言っているのかわからない)だったので、セリフを考えるのが楽しいと仰ってくださってとても救われました。(;∀;)そして先日は色々ありがとうございました!お絵かきチャットで企画始まるのすごい……。教えていただくまで、実は一番最新にプレイしたゲームが友人に教えて貰ったヤンデレゲーだったのですが、ハッピーエンドが鬱エンド状態でもうこれわけわからんぞ状態だったので、こちらでも救われました。(笑)プレイヤーとして、ゲームが終わったあとにサイトを訪ねたとき、その後の絵やお話があるのは、そこで生き続けているのを感じられるようでとても暖かくていいなーと思いました。(*'ω'*)

>四夜さん
四夜さん、こんにちは!絵コンテ楽しいですよね。作品と見比べると、これがこうなるのかーとまたわくわくしたり。ストーリーボード好きなので、四夜さんが絵コンテをイメージして下さって舞い上がってしまいました。こんなに長いものを描いたことがなくて、文を書く→絵にしてやっと内容のおかしいところに気づく→書き直す→能力不足で絵にできない→ミイラ化→修造さん化がルーティン化(笑)していたので、暖かいお言葉でとてもHPを回復させていただきました。ありがとうございます!(∩´∀`)∩神に対するセリフがかっこいい……なんぞ……!からの検索で、先日の記事でメカドックがジャンプということにもびっくりしたのですが、コブラもジャンプだったのですね。(`Д´)大人主人公+SFはジャンプでは鬼門のイメージがあるのですが、雑誌は変われど打ち切られることもなく続いていて、大人も子供も楽しめる作品だったのかなと気になりました。大人主人公と言ってはみたものの、ブライトさんも19歳だったのでコブラさんも若いのかもしれない……。悪い眼鏡さんvかわいいw眼鏡さんは冷徹かっこいいのですが、画力的な問題と、ものすごくわかりにくい裏設定を付け足したせいで、とぼけた感じになってしまったような気がしてそわそわしていたので、四夜さんが素敵にかっこいいイメージをして下さったり、雰囲気を気に入ったと仰ってくださって、とても嬉しかったです!ありがとうございます!ヽ(*´▽`*)ノ

>拍手、拍手コメントもとても力になりました!
本当にありがとうございます!ヽ(´▽`)ノ

更新:2018年02月23日(金) [No.209204-6 - 編集]

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